「世界は変えられる」そう思える人の自信はどこからやってくるのか? 日本発メガベンチャー目指す徳重徹さんのこれまで

2020/06/30
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このコロナ禍、「#BlackLivesMatter」の時世にあって、今ほど「世界は変えられる」と本気で信じる力が求められるタイミングはないかもしれません。しかし、どうすればそんなふうに思えるのか。「世界は変えられる」、そう思える人の自信はどこからやってくるのでしょうかーー?

「日本発メガベンチャー」をビジョンに掲げる徳重徹さんは、まさにそんな “自信家” に映ります。EV(電気自動車)事業のテラモーターズはインド市場でシェアNo.1。ドローン事業のテラドローンは世界業界ランキングで昨年2位にランクイン。いずれも上場を視野に入れる実績を挙げています。

世界を舞台に急成長する両社は、他のビジネスパーソンがうらやむ成功例ですが、徳重さんに言わせれば、「イーロン・マスクに比べれば、まだまだひよっこ」。ドローン業界も産業自体がまだまだで、「これを自分たちがけん引していかなければならない」とますます使命感に燃えています。

そんな途方もないスケールの夢を思い描く起業家、徳重さんの「自信」はいつ、どのようにして生まれたのでしょうか? 「世界は変えられる」、そう思える人の自信の源泉を探るべく、徳重さんにご自身のこれまでを振り返っていただきました(写真は2017年9月1日撮影)。

Terra Motors株式会社代表取締役会長/Terra Drone株式会社代表取締役社長 徳重徹
1970年生まれ山口県出身、九州大学工学部卒。住友海上火災保険株式会社(当時)にて商品企画・経営企画に従事。退社後、米Thunderbird経営大学院にてMBAを取得し、シリコンバレーにてコア技術ベンチャーの投資・ハンズオン支援を行う。2010年にEV事業を展開するテラモーターズを起業、アジアを中心に年間3万台のEVを販売する事業に育て上げる。その後、2016年にはドローン事業を展開するテラドローンを設立し、世界で勝てる事業の創出へ挑んでいる。著書に『「メイド・バイ・ジャパン」逆襲の戦略』(PHP研究所)千葉大学大学院融合科学研究科非常勤講師。

センシティブな理系青年を変えた「一冊の本」

こう見えて、高校生まではクヨクヨする人間でした。理系の人によく見られるように、僕もロジカルで繊細で小心者なんです。

今でもベースは変わっていませんが、「日本を何とかしなければ」という使命感は強い。昔から企業の創始者の本をたくさん読んで、自分も「大を成す」「世界でやる」「人生を楽しむ」という3つを大事にしようと思ってやってきました。

でも、「じゃあ、どうやって?」というアイデアやHowはずっとなかったし、ここに至るまでにはいろんな経験や挫折もありました。それはきっと、読者の人と同じなんですよね。

最初の挫折は、大学受験に失敗した時。山口の田舎の進学校に通っていましたが、同じ学年で300人中2人しか浪人しなかったので、圧倒的な挫折感でした。

実は僕の高校からは早稲田大学の理工学部にストレートで入れる可能性もあったんですが、僕は国立大学に受かる可能性が高いということで、もっと成績の悪いやつが選ばれてしまった。

それからの1年間は、挫折の中で苦しみながら、広島の2畳半ぐらいの部屋で勉強しました。その時、本屋でたまたま見つけたのが、松本順の『負けてなるものか』という本。

そこには本田宗一郎や松下幸之助など起業家のこともたくさん書いてあって、僕は苦しくなるとそれを取り出して何度も読んだ。

みんな失敗や挫折を乗り越えてきたことや、「失敗を悪いこととしてではなく、ポジティブに考えられるかが成功のカギ」というようなことが書いてありました。

「起業」という道があることもこの本で知りました。早稲田大学に行けなかった時、親父は成績の悪いほうが選ばれたことに激怒したんですが、あの時ストレートで早稲田に入っていたら、おそらく僕は大企業の部長レベルで満足して、起業に出会うこともなかったかもしれない。

そうやって一つひとつ思い返すと、その時は「心痛い」と思ったことも、その後で結果的にプラスになっていることが多いんです。『負けてなるものか』に書いてあったとおり、やっぱり失敗というものはなくて、捉え方次第ではすべてが糧になるんです。

「起業は考えることすらダメ」父に封印された夢

九州大学に入って自由になった後は、いろいろな起業家の本を読みました。明治生まれの起業家の話を読むたびに、やっぱり「かっこいいな」と。ソニーやホンダの本はそれぞれ20冊ぐらい読み漁りましたね。

大学時代
大学時代

それで卒業後はソニーやホンダに就職しようとしたんですが、親父が「絶対ダメだ」と。保守的な親父には「地元の大企業に入るのがお前の成功だ」と刷り込むように言われていて、もうソニーやホンダに行くなら絶交だ、とまで言われました。僕はその当時はまだ真面目だったから、親父の言うことを呑んで、自分もある程度納得がいく「折衷案」ということで、住友海上火災保険(当時)に入りました。

「起業は絶対にダメ」だったんです。祖父が木材業の起業家だったんですが、ある時会社がつぶれて、親父はおぼっちゃま生活から地獄に堕ちた。その原体験から「会社なんていつどうなるか分からないから、絶対やるな」というのが親父の「基本ポリシー第一条」になったんですね。もう考えることすらいけないことだった。

それでも住友海上で配属されたのは、会社の中でもエリートの部署。経営陣になりたいと思って、メチャクチャ頑張りましたよ。

ただ、今でこそ売上における海外比率は高く、経営陣も積極的に事業推進、イノベーションを起こし、すばらしい経営をしていますが、当時の住友海上の海外シェアは3%しかなかったし、海外事業といっても日本企業が中国に工場を作る際に保険をつけるだけ。本当は海外に保険商品を売りまくる、みたいなことをやりたかったんですが、海外駐在員の仕事は日本から視察に来る人のアテンドで、地元の飲食店やカラオケ店に案内できればいい、みたいな。残念でしたね。

それでも会社の役員になって経営をやりたい、という気持ちがあったんですが、ある時若い社員を集めた集会があって、そこに東京から社長室の次長が来たんですよ。その時、若い社員が現場から言いたいことを言ったらその役員は、「お前らのいう事はよく分かるけれども、今の役員に言っても誰も理解しない」と。

メチャクチャ、ショックを受けましたね。次に社長になると言われている人が「オレにも奥さんと子供がいるからリスクは取れない」と言っちゃったんですよ。緊張して張りつめていた糸がプツンと切れた感じでした。

それで「オレってそういう人間になりたかったのか?」「オレなんで大学で化学専攻したんだっけ?」「オレなんで住友来たんだっけ?」と考え始めたんです。

大学時代のことも思い起こされた
大学時代のことも思い起こされた

そうやって自分を見つめなおしてみると、実は大学の学部専攻に関しても、自分は経営をやりたかったのに、親父の意向で応用化学にしていた。就職先も親父の地元志向と自分の希望の折衷案で決めていたし、「オレの人生、親父のせいで2度ねじ曲げられちゃった」と思ったわけです。これを一回ゼロにしないと、自分の人生は始まらないな、と。

起業への願望が執念に変わった挫折「MBA不合格」

だけど、理系のロジカルな考え方から会社を辞めるまでには1年ぐらい考えました。悩んだあげくMBAを目指そうと思って、「自分はみんなと何が違うか」という自己分析をしたんです。その時、自分はやっぱりエリートの属性の中では打たれ強いとか、起業が好きだとかいうことに気づいた。

親父から封印されてきたので、これまで考えることすら許されなかったけれど、やっぱり考えれば考えるほど「起業じゃないの?」と思って。どうせ住友を辞めるんだったら最高峰に行きたいと、起業のメッカであるシリコンバレーを目指しました。

会社で高く評価されていたなかで、100人の住友海上の部の社員を前にして「シリコンバレーに行く」と言って、辞めたわけです。その時付き合っていた今の妻以外、親も、彼女の親も、みんな総反対で「何考えてんだ」と。それでも、もうその時は自分の執念に実直になって、全力で立ち向かう覚悟。そうやってやっと親父の呪いから解き放たれて、1から人生やり直し。それが30歳の時でした。

こうして住友海上時代の同僚たちに別れを告げた
こうして住友海上時代の同僚たちに別れを告げた

そんな文脈で意思決定したにも関わらず、半年勉強してバークレーとスタンフォードに見事不合格。もう理屈抜きに苦しすぎて、男としてカッコ悪すぎる・・・・・・というか、もう身体がバラバラになった気持ちでした。『ターミネーター2』みたいに、こっぱみじんになった感じでしたね。

それでも人間は強いもので、2カ月も経つと、今度は悔しくなってくるんですよ。結局、サンダーバードMBAには行くんですが、そのころにはもうMBAはどうでもよくて、シリコンバレーで仕事をするということが強い目標になりました。一度バラバラになったおかげで、悔しさが執念になっていたわけです。

その執念は使命感へ「運命のシリコンバレー遠征」

サンダーバードで在学中のある時、シリコンバレーでIT関連の特別講座があって、20人が募集されたんですね。100人ぐらいが応募したなかで、僕はまた落ちました。教授に理由を聞きに行ったら、「お前は保険会社だったからITやってないじゃないか」と言われて。

「いやいや、MBAはキャリアを変えるために来ているんだから、そのロジックだと誰もキャリアを変えられないじゃないか」と食いついて、教授を無理やり説得しました。もうどうしても目標を成し遂げたいという執念が強かったんですね。

サンダーバードMBA時代
サンダーバードMBA時代

当時はITバブルが崩壊して、外国人がアメリカで就職なんてとても難しい状況だったのですが、たまたまシリコンバレーでとあるインキュベーション企業を見つけました。そこは休眠会社で人を募集していなかったので、そこの日本社長に「給料は要らないから、この休眠会社をオレにやらせてください」と頼み込みました。

振り返ってみると、これも一度、スタンフォードやバークレーに落ちてバラバラになったからこそ奪い取れた機会だったなと。本気でチャレンジして失敗するのは苦しいし、バラバラになるんだけれども、結果的には自分にエネルギーを溜めるものになる。すべてはプラスの糧になるんです。

そうして、なんとか訪れることができたシリコンバレーで、決定的な出来事が起きました。とある通産省(現経済産業省)の人に現地で会う機会があったんです。

その人が僕に「君は産業をどうやって作るんだ?」と聞いてきたんです。その質問に僕は非常に感動しました。当時の日本では、起業家=「山師」、言ってみれば詐欺師のイメージでした。「そうか、起業家は詐欺師ではなく、産業を作る人なのか」と、急に開眼した感じでした。

実際、僕がいたサンノゼでは、Googleが急成長し、雇用を生み、イノベーションを牽引していました。それで、自分の中で起業への関心が使命感に変わったんです。「日本発メガベンチャー」の構想が生まれた瞬間でした。

シリコンバレー勤務時代
シリコンバレー勤務時代

起業するってエネルギーが要りますが、一流大学のエリートにはこれがない。それは自分にもなかったけれど、ターミネーターみたいにこっぱみじんになると、そこから這い上がるのにエネルギーが要る。失敗して修羅場を経て、食いついて頑張ると、それがエネルギーになる。こういうのを続けてくると、コロナぐらい起こっても大したことないな・・・・・・となるんですね。

最初から自信のある人なんていない。それに、僕にとっての小心者みたいな、その人のベースが人生の途中でガラッと変わることなんてそうそうない。だけど、失敗や挫折のプロセスを何度も繰り返すうちに、自分の願望が執念へと、執念が使命感へと昇華されていくんです。そういう姿が、他人からすると ”自信家” のように映ることもある、と。

20代後半とか30代前半とか、若い時にいかにこういう経験ができるか、というのが大事なポイントだと思います。ただーー。

多くの人は、自分、家族、社員・・・・・・と、自分の願望の対象が、小さな世界の中にとどまってしまうんです。それは他の起業家を見ていても感じます。

それじゃダメなんですよね。過去の偉大な起業家を見ても、社会に大きな影響を及ぼした人は皆、自分の小さなコミュニティを守ることではなくて、社会に及ぶ健全な野心を持っています。

では、どうすれば執念をそんな大きな志に昇華させることができるのか。そのあたりについては次回、僕がテラモーターズやテラドローンの創業に行き着いた経緯を交えて、後編でお話ししたいと思います。

テラモーターズ創業時
テラモーターズ創業時
[企画・取材・編集] 岡徳之 [構成] 山本直子 [撮影] 伊藤圭
2020/06/30

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