尖ったマーケターを生んだのは、挫折から得た「グロース志向」―フェイスブックジャパン 中村淳一さん

2020/02/04
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PROFILE
中村淳一さん
フェイスブックジャパン株式会社 マーケティングサイエンス ノースイーストアジア統括、執行役員

慶応義塾大学経済学部卒。2002年に消費財メーカー、プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)へ入社し、消費者市場戦略本部に所属。柔軟剤ブランド「レノア」の日本投入コアメンバーや、ヘアケアポートフォリオ戦略、かみそりブランド「ジレット」、店舗営業チャネルシニアマネージャーを経たのち、2013年からシンガポールにてグローバルメディア、アジア地域ビッグデータ担当のアソシエイトディレクターに着任。日本帰国後は執行役員。2017年6月にフェイスブックジャパン入社。Facebook, InstagramのアルゴリズムやInstagramのユーザーインサイト、広告効果測定のエクスパートであるマーケティングサイエンスをリードし、現職。

自分では「イケている」と思っていたけれど、彼らにはまったくかなわなかった――。P&Gの消費者市場戦略本部にて数々の有名ブランドを手がけ、現在はFacebookやInstagramのマーケティングサイエンスをリードする中村淳一さんのキャリアの出発点には、ある大きな挫折体験があったといいます。得られたものは、「自分の成長のために道を選ぶ」グロース志向。その歩みを語っていただきました。

「どうやって売り上げを伸ばすか」。攻めの分野へ向かっていった興味

私がマーケティングの道を本格的に志すようになったのは学生時代でした。

大学の頃、約2年、私はベンチャー企業でインターンをしていました。社員数は10人にも満たない「ど」ベンチャーです。でもその会社は面白くて、金融工学をテクノロジーに活用し、金融系大手のクライアントへ次々と新たなシステムを提案していました。

当時の私は「金融工学」という響きに惹かれたんですよね(笑)。経済学部だったので金融は学んでいましたが、工学というものはちょっと縁遠かった。なんだかかっこよさそうな世界だなぁと思ったんです。

ベンチャーに飛び込んだのは、もともと私の家族・親戚まわりに会社勤めの人がほとんどいなかったことが影響しているのかもしれません。自分が企業に入って働くというイメージは、実はあまり持っていなくて、大学のゼミで研究していたテーマも「ベンチャーが成功する要因とは」でした。

そうしたテーマに関連する本をたくさん読み、自分自身も新しい事業をやりたいという夢を抱いていました。事業企画書の書き方を本で学び、自分なりにBtoCでの金融ビジネスのアイデアをまとめていたんです。例えば、今では当たり前になりましたが、ファイナンシャル・プランニングを自動化する方法などのアイデアを事業企画書に落としていました。

そんなときにたまたま接点を得たベンチャーに、いつもカバンの中に入れていた事業企画書を見てもらって、「ここでインターンとして働きたい」とお願いしたのでした。

結果的にこれまではずっと会社員としてキャリアを積んできましたが、根本的には私は当時と変わらず、マインドセットはずっと起業家のままだと思っています。

そのベンチャーではインターンの私にもさまざまな役割が与えられ、営業のお手伝いから法務、人事・総務、経理、クリエイティブなど、いろいろな仕事を経験させてもらいました。時は2000年頃、世の中ではインターネットが本格的に使われるようになった時期に、BtoBのビジネスの中でマーケティング解析を手がける場面にも恵まれました。

いろいろとやってみた中で、私が最も面白いと感じたのがマーケティングでした。心からワクワクできたんです。

他の仕事、例えばクリエイティブに関連するものでは、「色のトーンを1つ下げるとどうなるか」「色合いでどんな心理的影響があるか」といったことを考えていくのですが、これは自分が興味を持って突き詰め続けられないと感じました。法務や人事・総務、経理も同様でした。

なぜマーケティングだったのか?

それは、売り上げを伸ばすことを追求できるからだと思います。「どうやってコストを下げるか」ということならファイナンスの知識を追求すべきですが、私自身は「どうやって売り上げを伸ばすか」という攻めの分野へどんどん興味が向いていきました。

振り返ってみれば昔から、節約方法を考えるよりは、どうやって稼ぐかを考えるタイプです。生来のポジティブ思考も根っこにあるのかもしれません。

幸運なことに、そのベンチャーでのインターンでは、かつて外資系大手飲料メーカーでブランドマネジャーをしていた人のもとで働く機会もありました。お手伝いをしながらいろいろ教わり、自分でもマーケティングの本を読み漁って学ぶ毎日でした。

しかし、1人の人や本から学べることには限りがあると気付き、本格的に社会へ出たら、マーケティングを追求できる会社で働いてみたいと思うようになりました。

そう考えるようになったのも自然な成り行き。そして就職先として選んだのがP&Gでした。P&Gは先進的なマーケティングで有名な企業だから、これ以上自分にフィットしている会社はないと感じたのです。

アウトプットの質で「圧倒的に負けていた」

今回の取材をきっかけに、これまでの自分の歩みを見返してみました。

「キャリア」というテーマ。自分自身を振り返る中で、実はこの言葉にちょっとした違和感を覚えました。というのも、これまでずっと私は「どんなキャリアを築くか」という観点で決断したことがなかったからです。

私はキャリア志向というよりは「グロース志向」で歩んできた気がします。「成長するためにこんな能力やスキルを身につけたい」と考えて道を選ぶ。そんなグロース志向です。

原体験となるエピソードを紹介させてください。P&Gに入社して1年半が経つ頃でした。

そのとき私は、アジアの各拠点の若手メンバーが集まるカンファレンスに参加する機会を与えられ、香港に来ていました。参加メンバーの出身国はインドや中国、フィリピンなどさまざま。そこでディスカッションをするセッションがあり、私はこれでもかというほどに挫折したのです。

インドから来た人は高度なフレームワークを活用して議論し、中国から来た人は私が思いも寄らないような良いアイデアをどんどん出してきます。英語力自体も負けていたのですが、それ以上に、出てくるアウトプットの質で圧倒的に負けていました。

それまでの私は、ある程度の自信を持っていたのかもしれません。学生時代からインターンとしてベンチャーで働き、入社後は柔軟剤の「レノア」や洗剤の「ボールド」といった有名商品にも関わり……。それなりに自分では「イケている」と思っていたのですが、彼らにはまったくかなわなかった。

それが悔しくてたまりませんでした。「この人たちと肩を並べたい」と心の底から感じた体験が、私の大きなターニングポイントとなっています。

入社以来ずっと真剣に働いていたし、時間も情熱も傾けて一生懸命やって頑張っていたつもりです。でも、「自分がどうありたいか」という方向はクリアになっていませんでした。そんなときに「負けたくない相手」ができたことは、大きな収穫でした。

そうした意味では、若いうちからどんどん海外などの未知の領域に飛び出し、ショックを受けることも大切なのかもしれません。

もちろん最初はショックのほうが大きくて、「今まで自分は何をやっていたんだろう?」と考え込んでいました。

そこから抜け出すきっかけになったのは、マーケティングのトレーニングで「ポジショニング」の考え方を深めたこと。ブランドや製品は、市場におけるポジションを明確化し、意味のあるものにしていくことが求められます。その考え方をキャリアに当てはめてみると、「自分なりの強みを発揮することが重要」だと考えられるようになりました。

できないことをやろうとするよりも、自分なりの強みを生かし、伸ばしていく。個人の能力やスキルを蜘蛛の巣チャートで見るならば、すべての項目でポイントを高めなくてもいいのだと思います。その代わりに、何かしらの尖った部分を持ち、自分なりに価値を発揮できる強みを持つことが大切なのでしょう。

日本人としての自分なりの強みを明確にしていく。そうして海外の人からも「そんなやり方があるのか」と驚かれるようになる。

そのグロース志向を持つようになってからは、他の人から「中村はちょっと違うな」
「他にはない強みを持っているな」と思われるように強く意識して仕事をするようになりました。

P&Gの文化に背中を押された面も大きいと思います。

P&Gではグローストレーニングに力を入れていて、マネジャーは「部下へは常に実力の120パーセントの仕事を任せる」ことを意識しています。実力の100%パーセントでこなせる仕事だと人はさぼってしまう。150パーセントだと要望値が高すぎて挫折してしまう。だから120パーセントなんです。

そんなグロースの考え方を基軸に置きながら、私はマーケターとしての勉強を重ねていきました。

子育てしながらグロースする「ワークフレキシビリティ」

そんな日々の中で私は結婚し、32歳のときには子どもが生まれました。このライフステージの変化が、P&G時代のもうひとつのターニングポイントとなりました。

うちは共働きで、妻は出産後もがっつりと仕事をしています。もしかすると私よりも仕事にコミットしているかもしれません。

とはいえ子どもが生まれれば、仕事以外にも向き合わなければならない軸ができます。我が家も子育てを分担して、私は朝の6時に起きてお弁当を作り、毎日17時〜18時には保育園へ子どもを迎えに行くようになりました。飲み会なんて、月に1回行けるかどうかです。

とはいえ、仕事を妥協するつもりはまったくありませんでした。

仕事と子育ての両立という文脈では、随分と前から「ワークライフバランス」が重要だと言われていますよね。でも私の場合は「ワークフレキシビリティ」を追求することが重要でした。子どもと向き合いながら、空いている時間で仕事ができないかと

そこで私は志願して、アメリカの拠点と関わるグローバルのポジションに異動させてもらうことにしました。

アメリカと電話会議をする場合は、日本時間の深夜になることもあります。21時までに子どもを寝かしつけられれば、その後に仕事の第2ラウンドを始めて、電話会議にも参加できる。「1日2部制」のような働き方ですね。これが私には合っていたんです。

一般的には「深夜の電話会議なんて対応したくない」と思う人のほうが多いかもしれません。でも私はこのライフスタイルだからこそ、グローバルポジションの働き方を喜んで取り入れました。

さらにプラスの効果もありました。以前の私はアジア圏の優秀な人たちと出会ってグロース志向に火が付いたのですが、今度はラテンアメリカ地域やサウスアフリカなど、さらに幅広い世界の人たちと仕事ができるようになったのです。学ぶべき対象もぐんと広がり、新たなインスピレーションも生まれて、モチベーションが高まりました。

子育てと向き合うことで、結果的にまたグロースの方向へ進んでいったわけです。

もちろん子どもはとてもかわいいし、子育て自体も本当に勉強になっています。子育てと部下の育成には通じるところが多い。子育てでは、親が「こう育てたい」と強く思ったところで大概はうまくいかないと思うんですよね。本人の自主性を重んじて、その上でどう導いてあげられるかが大切。部下のマネジメントもそれに近いと感じています。

ワークフレキシビリティを継続させるために、タイムマネジメントの勉強にも取り組みました。結果、無駄なミーティングが本当に嫌いになりました(笑)。「もう、チャットでいいじゃん」と。ミーティングをやる代わりに日々のチャットでこまめにコミュニケーションして、1時間の予定はなるべく30分で終わらせられるようにしました。

ライフステージの変化は誰にでも起こり得ます。「これまでやっていたことができなくなってキャリアが後退する」とネガティブに考えてしまう人も多いかもしれません。

でも私は、状況に合わせながらグロースするポジションへ移っていくことも、自分の意志次第で可能だと考えています。そうやってポジティブに成長へ向かっていったほうが、得られるものは大きいと思いませんか?

後編はこちら

[編集・取材・文] 多田慎介 [撮影] 稲田礼子
2020/02/04

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