西陣織のイノベーターに学ぶ「伝統との向き合い方」。なにを変え、なにを変えるべきではないのか?

2019/11/19
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革新の必要性が高まる一方で、日本人は革新が苦手で、伝統や前例を無条件に踏襲してしまう傾向が強いと言われます。もちろん、長く受け継がれているものにはそれだけの理由があるはずで、闇雲に変えればいいという話でもない。では、伝統のなにを変えるべきで、なにを変えるべきではないのか。その線引きはどのように行えばよいのでしょうか。

1200年続く日本の伝統工芸「西陣織」。その老舗である「細尾」の12代目・細尾真孝さんは、海外展開や実験的な新商品の開発など、西陣織の新たな境地を切り開くさまざまな挑戦を続けています。

それまでは「和柄の」「製品としての」需要に限定されていたところを、技術・素材をベースにした「テキスタイル」として海外に向けて展開したことで、ディオールやシャネルなどの世界のトップメゾンを顧客として開拓。2016年7月にはマサチューセッツ工科大学(MIT)のディレクターズフェローに就任し、西陣織の伝統技術を最先端のテクノロジーと組み合わせることで、織物の可能性を探る研究も行っているといいます。

今回はそんな、日本の伝統工芸の世界に次々に革新をもたらし続けている若きイノベーターに「伝統との向き合い方」を学びます。

PROFILE

株式会社細尾 常務取締役/MITメディアラボ ディレクターズフェロー 細尾真孝
細尾真孝
株式会社細尾 常務取締役/MITメディアラボ ディレクターズフェロー
1978年西陣織老舗 細尾家に生まれる。大学卒業後、音楽活動を経て、大手ジュエリーメーカーに入社。退社後フィレンツェに留学し、2008年に細尾に入社。西陣織の技術、素材をベースにしたテキスタイルを海外に向けて展開し、建築家、ピーター・マリノ氏のディオール、シャネルの店舗に使用されるなど、世界のトップメゾンをクライアントに持つ。また、アーティストとのコラボレーションも積極的に行う。2012年より京都の伝統工芸を担う同世代の若手後継者によるプロジェクト「GO ON」を結成し、国内外で伝統工芸を広める活動を行う。2014年日経ビジネス誌「日本の主役100人」に選出。2016年、マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボディレクターズフェローに就任し、西陣織と最先端のテクノロジーの融合による革新的なテキスタイルの開発を行う。

もがき続ける中届いた巨匠からの一通のメール

20代はミュージシャンとしての活動や、ご自身のファッションブランドの立ち上げなどを行っていた真孝さんが、家業に戻られたのは30歳だった2008年のこと。そこから次々に革新的な取り組みをされていきますが、当時の西陣織の状況はどのようなもので、 どう「変わる」必要があったんでしょうか?

自分が家業に戻ったころは、それまでの30年で着物のマーケットがシュリンクしていて、新たなマーケットを開拓しなければいけない状況だったことは確かです。ただ、当時のぼくには「変えなければならない」という使命感はそれほどなくて。むしろ「自分がやりたいからやる」という感じでしたね。

とにかく新しいことをやりたいというのがありました。西陣織の海外展開は、それまで誰もやってこなかったこと。その誰もやれなかったことを自分がやれたら、かっこいいな、と。もちろん、それが結果として新しいマーケットをつくることにもなるんですが、それよりも、純粋にこの美しいものを世界に紹介したいとか、もっと言えば、シャネルやエルメスのような世界的ブランドと一緒に仕事がしたいという妄想が先立っていました。

だから、伝統のなにを変えてよくて、なには変えてはいけないのかなんて、正直に言って、最初は分かっていなかったと思います。ただ、西陣には1200年の歴史があり、過去には貴族や武士たちに納めてきたものなので、海外展開するにしても、ふさわしいマーケットでなければと思っていました。日本を代表するラグジュアリーブランドとして、どう海外にコネクトし、時代に合ったものとして打ち出せるかだろうと思っていました。

では、まずどんなことから始めたんですか?

海外展開すると言っても、お恥ずかしいことにFedEXやDHLも知らないくらいのところからのスタートだったんですが、とにかくアクションを起こしました。

当時のぼくらは、海外で勝負するには伝統的な和柄以外にないだろうと思っていましたし、当然、なんらかのプロダクトの形にしなければならないと思い込んでいたので、伝統的な西陣織の和柄でクッションなどを作って、パリのメゾン・エ・オブジェやミラノのミラノ・サローネなど、クライアントとつながれる可能性のありそうな質の高い商談会には片っ端から出展しました。

けれども、結果は芳しくありませんでした。高級百貨店などから声がかかることもあるにはありましたが、経費を考えると赤字続きで、ビジネスとして軌道に乗せるにはほど遠い状況でした。そんな期間が1年以上は続いたと思います。

転機になったのは、パリのルーブル装飾芸術美術館で開催された「日本のデザイン展」という美術展に帯を出展したこと。あくまでも美術展なんですが、これが好評で、翌年にはニューヨークで巡回展が開催されることになって。その際に、弊社の帯が世界的な有名建築家のピーター・マリノ氏の目に留まったんです。

マリノ氏は、シャネルなどのラグジュアリーブランドをクライアントにもつ、世界でも指折りの建築家。そんな人から突然オファーメールが届いたことには、とても驚きました。けれども、もっと驚かされたのはその内容でして・・・・・・。

というと?

メールに添付されて送られてきたイメージ図が、まったく和柄ではなかったんです。コンテンポラリーな、鉄の溶けたようなパターンのテキスタイルで。これを西陣の伝統的な技術と素材でやってくれというのが、向こうからの依頼でした。

ここに、ぼくらは二つの気づきを得たんです。一つには、それまでのぼくらは和柄でなければ戦えないものだと思っていたけれど、むしろ和柄にとらわれていたがために、かなりニッチなマーケットになっていたかもしれないこと。もう一つは、なにかしらのプロダクトにしなければ売れないというのも、ぼくらの思い込みに過ぎず、自ら可能性を狭めていたかもしれないと気づけたことです。

この思い込みを取り除いて、ぼくらの武器は1200年かけて培った技術であり、最高の素材にこそ本質があると発想を転換すれば、世界のラグジュアリーマーケットでだって戦える可能性がある。インテリアはもちろん、ひょっとしたらファッションだったり、その他のさまざまなプロダクトにだって使えるかもしれない。マリノ氏からのメールは、そのことをぼくらに気づかせてくれたのでした。

異なる価値観と接する中から伝統の本質は見えてくる

その後の歩みにつながる発想の転換は、外からもたらされたものだったんですね。

そうなんです。ただ、先方からの要求に応えるには、一つ問題がありました。それが生地幅の問題です。伝統的な西陣の織機で織れる幅は32センチと決まっているので、例えばソファーの貼り地に使うとなると、継ぎ接ぎだらけになってしまう。

では、どうするか。従来の織機ではダメだというなら、新しいものを開発するしかない。ぼくらは西陣のスペシャリストを集めてチームを組み、コンピュータのプログラム製作に1年間、約2000万円を投じて、世界で初めて150センチ幅の西陣が織れる織機を独自で開発しました。

その時点では確実に成功する保証なんてないわけで、かなり思い切りましたね。

おっしゃる通り、ある種の賭けではありました。なぜ賭けに踏み切れたのかと言えば、それまでにたくさんの失敗を重ねてきていたからだと思います。いろいろな海外の展示会へ行って、ことごとく撃沈していた経験があったから、ここをクリアしないことには海外では勝負できないと腹をくくることができたんです。

だから、最初から成功への道筋が見えていたわけではないし、なにが変えてはいけない本質なのかが見えていたわけでもない。家業に戻ってからもそうですが、戻る前に海外でビジネスをやっていた時期も含めて、事業的には、ぼくのそれまでは失敗続きでした。

けれども、それが無駄だったとは思っていません。マリノ氏からのメールに気づきを得て、さらには「この波に乗るしかない」という直観が働いたのは、すべて、とりあえず行動してみて、いろいろと経験したこの期間があったからこそだと思っています。

革新的な挑戦というのは、10回中9回は失敗するものだと言われますが、その言葉の意味は、9回の失敗を経験する中で、自分がアップデートされていくということなのだと思います。だからこそ、10回目にしてようやく突破できるのではないか、と。

伝統や過去の成功体験に引っ張られてしまって、なかなか考え方を改められないというのは、日本人に限らず、どこの国の人にもあることだと思います。ただ、その固定観念を外してあげれば、見える景色はガラッと変わってくる。ぼくの場合で言えば、当初は「和柄でないとダメ」「プロダクトでないとダメ」という固定観念に支配されていたわけですが、海外の建築家の方との出会いから気づきを得て、固定観念が変わったところから、事態は好転していきました。

そういう意味では、異なる価値観の人と触れ合える機会をいかにつくるかが大事なのではないでしょうか。とりあえず動いてみる、行動してみるというのは、まさにそういうことだと思いますし。同じような人といくら触れ合ってもダメで、異なる価値観と触れ合うことが固定観念を壊し、自らをアップデートすることにつながる。

だから、ひとくちに「動く」と言っても、予想のつくところを動くのではなく、なにかストレッチしてみる。どうなるか分からないところに飛び込んでみる。そういうところから見えてくることがあるのではないでしょうか。

妄想が妄想を呼び、広がる可能性

その後もMITのフェローになったり、東京大学と連携したりと、既存の伝統工芸の枠組みを超えて挑戦し続けていますね。

最初はいつも妄想に近い部分があるんです。ドラえもんののび太くんみたいに、「こんな道具があったらいいな」「こうなったら世の中がもっと良くなるかも」と考えている。それをどうやったら実現できるかというのは、その次で。

例えば、まだ実現していない妄想でいうと、これはMITのフェローになったきっかけでもあるのですが、ドラゴンボールの「ホイポイカプセル」を織物で作れないかと思っていて。要は、織物で建物が作れないか、ということです。

建築の定義って、構造があって機能があることだと思うんです。であれば、布にだって構造と機能を与えてやれば、建築物になるはず。これまでの建築といえば、コンクリで固定して、50年経ったら壊して・・・・・・というものが一般的でしたが、そうではない可能性もあるのではないか、と。そういうものを作ることによって、不動産や定住とは違う価値観、違う生き方をオプションとして提示できたら、すごく素敵だなと思っていて。

さらに、西陣がそれを行うことにより、そこに「美」というものが加わるわけです。例えば、災害地の仮設住宅にもっとも必要なのは、最低限の機能を担保することですが、機能性は担保しつつ、そこに織物の美しさが加わったら、なにが起こるだろうか。被災して苦しい状況に立たされている方がそれを見て、「こういうものに出会えたらよかった」と思えるようなものができたら・・・・・・。

そんな妄想からスタートして、実際にモンゴルの遊牧民と2週間生活してみて、布でできた建築物で生活している人たちの暮らしをリサーチしたりもしました。ですが、実現するのにはまだまだ技術的なハードルがたくさんあります。そのため、東京大学の筧康明研究室と共同研究させていただいたり、MITでも、そういう可能性がないかディスカッションしたりしています。

自分たちだけでできることは限られています。妄想を形にするためには、さまざまな人の協力を得たり、コラボレーションしたりすることが不可欠。そう考えれば、既存の枠組みの中でだけやっていたのでは、やはりダメで。

行動し続けていると、ありがたいことにいろいろ人を紹介してもらえたり、情報が集まってきたりということがあります。少しずつでも妄想を実現できているのは、そのおかげなのかなという気がしています。

だから、ご縁に恵まれているのは確かなのですが、一方ではここでもやはり、「こうだったらいいな」という妄想を起点に、まずは行動を起こしてみることが大事なのではないかとも思っていて。その上で、壁は極力作らない姿勢でいるからこそ、仲間が集まったり、手段が見つかったりということが起こる。

さらに言えば、妄想がまた別の人の妄想を呼び、次のやるべきことが見えてくるということもあるのではないか、と。

どういうことですか?

ぼくらが取り組んでいることの一つに、遺伝子組み換え技術を使ったアートプロジェクトがあります。クラゲのもつ蛍光タンパク質には、青の光の波長を緑に変換する性質がありますが、遺伝子組み換え技術を使ってクラゲのDNAを蚕に組み替えると、その蚕が吐いた糸は青の光源下で緑に変換されるようになります。この糸を使って西陣を織るというのがプロジェクトの概要なのですが、これは、アーティストのスプツニ子さんから声をかけられて始まったものです。

さらには、そこからバイオテクノロジー関連の方との接点が増えて、現在は農研機構と組んで、やはり遺伝子組み換え技術を使うことにより、絹糸にクモの糸のタフネスを与える取り組みにも挑戦しています。この技術が進めば、将来的には、強い耐久性が求められる宇宙服を作るのにだって使えるかもしれません。

・・・・・・というように、最初からすべてこうと決めているわけではなく、妄想が次の妄想を呼び、可能性がどんどんと広がっていったところもある。まず行動を起こすことがなければ、こうしたことはどれも起こり得なかっただろうと思うんです。

伝統には、壊そうとしても壊れない強さがある

まずは動いてみたからこそ、人が集まり、手段が増え、妄想が妄想を呼び、可能性が広がっていった、と。とはいえ、昔から西陣に関わっている職人さんからすると「もはやついていけない」というところはないんでしょうか?

お察しの通り、しょっちゅう宇宙人扱いされていますよ(苦笑)。でも、そこももがき続けて少しでも実現性が出てくると、「言っていることは訳が分からないけれど、なんとかなるかも」という反応に変わってくる。やり続けることで、だんだんと組織としての細胞が変わっていく部分はあると思います。

逆にやらないでいると、これまでの細胞に取り込まれてやられてしまうということでもあると思う。だから、常に細胞として動き続けて、かき乱して、というのは意識しているところです。伝統には、壊すつもりで壊しても壊れない強さがあると思うんです。逆説的に言うと、ぶっ壊しても残るものこそが伝統ではないか、と。

一般的な企業で働く上でも、前例踏襲の文化があったり、口うるさい上司がいたりと、新しいことをやりづらい部分はたくさんあると思うんです。でも、なにかを変えるというのは、壊して、それでも残っていくものを見つける作業でもあると思うので、「なにを変えるべきで、なにを変えるべきではないべきか」と最初から考えるよりも、少し乱暴な言い方ではありますが、壊すことを恐れないくらいの姿勢で臨んでもいいのではないかと、個人的には思います。

壊そうとして壊れるくらいのものに伝統の本質はない、と。

それに、伝統というとなにも変わっていないように思えるかもしれないですが、西陣だって、ただ1200年間ずっと同じことをやってきているわけではなくて。その時代時代でイノベーションは起きていて、常に代謝を繰り返しているからこそ、生き残っているのだと思うんです。

最近の大きな転換は150年前になるかと思うんですが、いわゆる明治の遷都で、今までのクライアントがいなくなって。江戸時代は将軍が一番のクライアントだったようなのですが、その将軍がいなくなってしまった。誰も西陣を手に取らなくなったわけなんですね。

それまでの西陣は、専門の職人が2、3人がかりで、半年から1年をかけてようやく一反織るものだったんです。それだけの労力と時間をかけても、買い上げてくれる強力なパトロンがいたから、ひたすら美を追求することができた。ところが、そのパトロンがいなくなってしまって、一気に疲弊していくことになります。

その時になにをやったかと言うと、お金を集めて、3人の若い職人を当時の最先端の織物のテクノロジーがあるとされたフランスのリヨンに送り込んだんです。リヨンでも元々は人力で織られていたんですが、17世紀に「ジャガード織り」と呼ばれる機械化技術が発明され、一人の職人でも織れるようになっていた。その最先端の技術を持ち帰り、伝統的な技術や素材と組み合わせることで革新を起こしたのが、明治以降の新しい西陣です。それまでは特別な人しか着れなかったものが、ここから、今日そうであるように、一般層にまで広がっていきました。

・・・・・・ということを考えると、伝統において本質的に重要なのは、いかに未来を向いて、挑戦して、変わり続けられるかではないか、と。むしろこの挑戦の繰り返しが、最終的には50年、100年の伝統になっていく。いつの時代も、変われないものは残っていかない。これは、ぼく自身も常に大切に考えている考え方です。

ひたすら美を追求し続けてきたという伝統

ジャガード織りを持ち込んだ時は西陣が危機的状況にあったというお話でしたけれど、そうした「今そこにある危機」が見えない状況においても変わり続けられるものですか?

確かに、人には追い込まれて力を出す部分がありますよね。実際に、3人のうちの1人は途中で命を落として、日本に帰ってこられなかった。それくらいの命がけの渡航だったわけで、使命感や危機的状況への認識がなければ、このチャレンジは成し遂げられなかっただろうと思います。

ただ、伝統工芸というのはそもそも自分たち一代の話ではなくて、そうした先人たちが命がけでバトンをつないだことで成り立っているもの。そういう意味では、そのバトンをどうすればベストの状態で次の世代に受け継げるかというのは、ぼくら一人ひとりが常に意識していることですし、そのためには、「形を変えながら」というのも当然考えなければいけないことなんです。

そうやって表面的には形を変えながらも、次の世代に確実に受け継がなければならない西陣のバトンとはなにか、今改めて言葉にするとすれば、どのようなものになりますか?

なにが西陣のDNAかというと、それは「美」だと思っているんです。1200年間、ひたすらに美を追求し続けてきた、それが西陣だ、と。先ほど触れたように、それができたのには強力なパトロンがあったからという部分があるんですが、おかげで、お金にも糸目をつけずに、絶えず美を追い求めることができた。そんな産業って、なかなかほかにはないと思うんです。

だから、これからの時代に西陣がどう必要とされるのかを考えるということは、すなわち、人類にとっての美の必要性を考えることだと思っていて。この先もテクノロジーがどんどん発展し、月に旅行に行ったり、火星に移住したりということも当たり前になっていくとすると、「人間とはなにか」がこれまで以上に問われる時代になる。その時に、西陣が追い求め続けてきた美というのは、人間とはなにかを考えるきっかけにもなるのではないか、と。

9月に京都の中京区に細尾として初めてのフラッグシップストアをオープンしたんです。この店舗はまさに、美というものに関して、これから弊社がやりたいことを象徴する建物になっています。建物のコンセプトは「工芸建築」ということで、壁や天井、家具も含めてすべて職人の手で作っていますし、喫茶スペースで出されるものも、例えば京都・宇治の朝日焼という、16代続く伝統的な焼き物でお抹茶をいただけます。伝統工芸を全身で体感することができる空間になっています。

伝統工芸もやはり、ただ「飾っておくもの」としてではなく、現代のライフスタイルに溶け込んだ「使えるもの」である必要があると思っています。そうやって実際に使う中で、伝統工芸やクラフトマンシップの美というものが、自分のものになっていく。ぼく自身もまた、若いころは海外のかっこいいブランドにかぶれていたような人間ですが、この歳になって、日本的な美のすばらしさに年々目覚めていっています。

だから、20代30代40代の若い人たちにも、この店舗で実際に触れて使ってもらうことで、伝統工芸・クラフトマンシップを自分のものにしてもらいたい。この店舗が日本的な美の未来を創っていく、その一つのきっかけになってくれたらいいなと思っています。

[取材・文] 鈴木陸夫 [企画・編集] 岡徳之
2019/11/19

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